2003年3月
TOD2は2002年のクリスマス頃にクリアしました。
TOD2の感想(というより批判)です。
期待してたんだなぁ、私。それだけに長いっ!
今作は、何よりもまず、
矛盾だらけであるために受け取れませんでした。
そして、前作デスティニーが好きである故に、
今作での前作キャラへの扱いがどうしても許せませんでした。
小説やドラマなどであったなら、
原作ではないから、と軽く流せたのでしょうが、
原作であるが故に、簡単には流せなかったです…。
やはり、全ての原点・元となる原作ですので。
ここから小説化、ドラマ化、漫画化する事を考えると、
やはり、もっとしっかり話を考えて欲しかったです。
そして、続編であるということは、
新作以上にファンが反応することも容易にわかると思います。
なので、新作を出す以上に、
細かな事にまで注意を払って欲しかったです。
以下、すっごい長いですが、私の感想になります。
まずリオンについて。
私は死を無駄とか終わりとかではなく、
それが始まりとか意味あるものである、と考える性質なんです。
だからリオンは、
ドラマCDの締めくくり方が、
一番彼的に幸せに思えます。
やはり、リオンはもう、
死ぬことでしか幸せをつかめなかったんじゃないかと思うし。
こう思うわけは、
彼がもう一人の父とも言える人(ドラマに登場)を手にかけてしまっているから。
おそらくこの他にも殺してるハズ。
何かを犠牲にしなくてはどうにもできない状況だったとはいえ、
この罪悪感はかなり大きいと思うんです。
だから、彼は償いの結果が死でも、幸せだったのではないかと。
「テイルズリングアーカイブ1」でもあったのですが、
彼が求めていたのは、誰かに愛されていると感じること。
誰にも必要とされずに生きる、目的を失って生きるっていうのは、
一番辛いことですよね。
きっと死ぬより辛いハズ。
彼の死は彼なりの道をつらぬいた結果。
やっと解放されたんだなと感じました。
そして、番外ドラマで、
「マリアンに忘れられたら、エミリオが消えて無くなってしまう!」
とリオン自身が嘆いていたように、
彼が恐いのは死ではなく、
誰にも本当の自分を覚えていてもらえないという事ですよね。
実際は、前作の時点で、仲間はみんな、
エミリオを忘れてなんかいないと思える展開だったし、
特に、ルーティとマリアンの中には、
リオンだけでなく、
エミリオという存在も確実に生きていると感じられました。
少なくとも、私はそう感じてます。
私は、武士道のように自分の道を貫いて死ぬ場合は、
死をマイナスというより、むしろプラスに受け取ります。
言い方が変ですけど、散り様が美しければ、
そしてそのキャラ的な視点を考えて幸せだろうと感じればOKです。
彼はマリアンを守り抜くためなら犠牲を厭わない、
その生き方を自分で選択して精一杯生きたんです。
彼には、そうやって一応選択できる状況がありました。
私は、マインドコントロールされていたダリスやヒューゴのが、
自分で自分の生き様を選べないまま殺されてしまった彼らのほうが、
よっぽど不幸であったと感じています。
私にとって重要なのは生か死か、よりも、
自分の意志で自分の道をつらぬいたかどうか、ということですね。
リオンが番外ドラマで、
「戦ってぼろきれみたいに捨てられるのと、
戦わずに勝った気でいるのと、どっちが不幸なのか?」
って言ってますけど、それに通じるテーマです。
リオンは自分の一番大切なもののために選んだ道を貫き、散ったのですから、
後悔はなかったと思います。
生きながらにして全てを白紙に戻してやり直すのは、
そうできることではないですよね。
きっとリオンのようなタイプはなおさら。
彼には、いつか転生して、
今度こそ、思い描いた理想を生きて実現してほしいです。
前世の記憶なんて覚えてなくていいから、
家族や仲間と転生した先で巡り合ってほしいです。
特にルーティとは…。そう思います。
(でも転生って仏教では悪いコトなんですよね。
生という苦しみから逃れた解脱って状態が至福ですから。
でも、私は転生はプラスイメージ。
やり直しのチャンスみたいに思えるし。
まぁ、転生した先が何なのかによっては考え方も変わるけど…。
虫とか、嫌ですしね…。)
製作者側がTOD2作製時
「ユーザーが最も再登場を望むのは誰か」
として出たのがリオンだという事は予想してました。
が、こんな風にリオンを商品化して出すことは
望んでませんでしたので、大ショックです。
今作は、あてつけのようにリオン売りにしてますからね(怒)
いくら人気があるからって…。
私はデスティニーの話を、
ドラマCDの筋で受け取っているタイプですが、
仮にドラマCDが全く無くても、
今作のようなリオンの再登場は全く望みません。
私的には、続編になる今作で、
ルーティがリオンの事をカイルに語ったり、
過去の仲間がリオンを忘れないでいる事を表してくれるだけでOKでした。
(夢で出てくる、というのもOKです。
夢の場合は、本人でない場合もありますが、
夢を見てる人が感じたリオンには違いないですから。)
リオンご本人は回想で登場するだけで良かった…。
ジューダスはリオンファンに与えた、
別人だけど彼そっくりという設定で十分だと思いますし。
例えばですが、大切な人を失った後似た人が現れると、
なんとなくですが、心が癒されたりするじゃないですか?
そういう存在としての、リオンの転生体でも幽霊でも本人でもない、
全くの新キャラであってほしかったです。
リオンのかつての仲間も、前作プレーヤーも癒されて、
満足できる展開を十分に作れたと思うんですけどね…。
前作キャラのうち全員出したくせに彼だけ使えるってのも、
差別しすぎだと思いますしね。
私的には、彼の目で見た幸せを考えるに、
今作でのリオン再登場はやはり許せないです。
不幸としか受け取れませんし、
何故彼だけ人生を実際にやり直し、満足しているのか!?と
腹立たしくてなりません。
(ex.18年前のスタン達の危機を救うとか)
本当に人生やり直せたら、辛い事なんてないよ!?
なんか違います!
それに、ドラマCDの方で十分いい方向で補えていたのに、
今作の追加のせいで、そのドラマCDを汚された気がしました。
(ex.タイムスリップした先で神の目を砕く時にシャルが加わる事とか。
神の目を砕くのにシャルが加わる設定は、
ドラマCDで既に成された設定なので(怒)!
ゲームでこの場面を見たときは興ざめでした…。)
天地戦争の話も、TOD2よりずっと前に、
小説「天地戦争編」で、いい形で補われていました。
既に市販物として出したくせに、
その設定をなくすような、台無しにするような続編出すな!と思いました。
タイムスリップして前作のスタン達の時代に触れたときも、
天地戦争の時代に触れたときも、
前作が汚されていくとしか感じられなかったです(泣)
歴史の事実とは、その時その時を戦った人達の汗と涙の結晶です。
ソーディアンチームが、またはスタン達が乗越え解決したあの場面に、
他の時代の奴らが介入してくるなんて…。
本当に許せないです!
こういうのがあるから、タイムトラベルは嫌いです。
TOD2は、友達にも批判してる子がいました。
「矛盾やリオン絡み等大問題!更に神はいらないという表現はヤバイ」と。
確かに、無信教者の多い日本はともかく、他でブーイング出そう…。
だいたい、神がいらないんじゃなくて、フォルトゥナがいらないだけでは。
抽象的に表しちゃいけませんよね。こういうのは。
それにフィリアみたいに、何らかの神を信じる人も存在するわけです。
あの言い方ではそういう人達もひっくるめて批判している気がします。
人の想いから生まれた存在=フォルトゥナ。
神って呼ばれるのもまぁ分かる。
奇跡的な超現象を起こすものを人はそう呼びたがるから。
そして呼ばれるうちにフォルトゥナ自身神と思い込んだわけだろうし。
(最初から思い込んでたかもだけど。)
レンズがないと時間移動できないっていうのも、
フォルトゥナ、エルレイン、リアラの3人のみ、
レンズをそのためのエネルギー元に変えられる特殊能力者と思えば分かる。
かなり考えられないけど、
まぁ所詮は神でなかったから愚かな政策ばかりで失敗し滅ぶ、と。
ここまではギリギリ分かる。
でも、最後やったことが皆無になるっていうのは絶対矛盾。
フォルトゥナの力で変えた歴史が
フォルトゥナがいないと維持できないというのであれば、
フォルトゥナに関するところだけが空白のように、
抜けた状態になるだけのはず。
空白だから何もなかったのと同じで記憶喪失とは違うけど、
その間の記憶は塗り替えられるというより消去だから、
そこだけ記憶喪失、とほぼ同じかな。
そのフォルトゥナの関するっていうのが、
フォルトゥナが存在してるだけで影響与えてるかがわかんないから、
どの程度かわからなくて問題なんだけど。
とにかく、スタンがカイルにずっと稽古つけてきた、
みたいな設定にはなり得ないはず。
でもこれ以上は、タイムスリップ故に説明しきれません。
だって、例えば前作から見るとハロルドの一生は時間旅行未経験。
でも今作から見るとハロルドの一生は時間旅行経験者。
同じ人物の一生なのに、
フォルトゥナ絡みで記憶がとぶorとばないの差ができちゃうので。
(普通、どの時代の人から見ても、既に死んでいる生命の一生は同じものですから。)
この矛盾点を無理やりだけど無くそうと考えるには、
「フォルトゥナは存在するだけで歴史に影響与える存在だから、
消えるときに歴史はフォルトゥナ発生前に戻る。
そしてフォルトゥナが発生しなかった歴史を歩んだカイル達の現在が、
エンディングのスタンが生きてる時代とする」ってやつですね。
これが理解できる一番オーソドックスなやつかな。
これ以上は私には説明不可だし。
でも、どう考えても矛盾・理解できないのは
エルレインが歴史操作した世界で、カイルが消えずに存在していたこと。
フォルトゥナの力を源?にしてるリアラ、エルレイン、(ジューダス?)以外は
影響ないとおかしいんだけど。
他のみんなもしっかり影響受けたんだから。
だって過去をいじって
ルーティとスタンの存在が消えたり出会わなかったりしたら、
カイルが存在するのっておかしくない?
少なくともエルレインが過去いじる前と全く同じにはならないよねぇ?
歴史操作前のカイルが消えて、何か変化したカイルが生まれるのが普通でしょ?
って思えてならない。
過去を操作して今が変わらないなら、何のための歴史操作!?
リアラが、
「私の存在が消えない限り、
リアラ以外4人は時間軸の影響を受けないようにする」
とかしている設定なら、まだ理解できたと思いますけどね。
あとエンディングのリアラの現れ方は絶対人間じゃない…。
再度現れた時もなんか光って突然現れたけど、
もしまた救いを求めるパワーで現れたとかだったら、
ボス倒した意味全く無い!?
少なくとも普通の人間ぽい現れ方じゃなかったよなぁ。
リアラは神がいなきゃ存在できない設定だから、
つまり神は甦ったのか~?結局全ては無駄!?
それにラスト、前と同じ姿・年齢で出会うっていうのは、リアリティないなぁ。
別にリアラが赤ちゃんだったとしても、
大人の女性だったとしてもいいわけで。
あと、カイルも前と同じ年齢の時に出会うってのがなんかなぁ。
再び出会うシーンまでやるのなら、
カイルが18才とか、もうちょっと成長してる方がいいな。
もちろん、カイルだけでなく、リアラも以前と違う年齢の時のがいいな。
外見が以前と全く違ってても、
こういう時はハッとする何かがあるものだと思いますしね。
そのへんに少しリアリティがほしかったなぁ。
同じ姿にしても、ちゃんと人間ぽい再会にしたらと思う。
同じ人として再会を果たす事が、
リアラの願いであったわけですしね。
ラスト、私はリアラとの再会シーンなしで想像に任せてほしかった。
つまり、
カイル「絆は消えない。そうだろ?リアラ…。」か、
カイル「英雄がいたからだけじゃない。その理由を、俺は探しに行きたい。」で
終わってほしかった。
EDムービーをしっかり作りさえすれば、この方が感動な気がする。
こういうラストなら、解釈の幅も広まるので、
小説、ドラマCDのラストもオリジナルが少し入れ易くなって、
皆様も、原作も含め、
その中から一番好きなラストで受け取れるんじゃないかな、と。
再会シーンありの、あのラストで受け入れるなら、
リアラの名前だけ感覚で覚えてたって捉えたい。
その理由1
=形なき絆を信じるというのなら、
カイルは、記憶がまるでない状態で再び出会っても、
またリアラを好きになると思うし、
やはりそれを証明してくれる方が感動するのでは…。
それに、あの世界の他の皆が記憶全部失ったのに、
カイルが全部思い出すというのはご都合主義に感じられるし…。
その理由2
=カイルが英雄になった記憶覚えてるのが私的になんか腹立たしい。
だって奴は、誰に押しつけられたわけでもなく、
勝手に言い出して英雄になったのに、
いざ英雄がリアラを消す存在と分かったら、やめたいとか言い出すし!
自分の言った事にくらい責任もてないのかって感じ。
事の重大さも分かんないくせに首つっこむな!
と最後までつっこまずにはいられなかった。
(つっこんだら終わりってわかってるけど、つっこめ過ぎ!)
ディムロスが恋人か仲間か、と二律背反で苦しんでるときも、
ジューダスに未来を告げる事はエルレインと同じと注意されても告げる所も、
もうなんなの!?ってくらいカイルが理解ない奴で、正直むかつきました。
いくら大好きなルーティの息子でも嫌いです。
リアラもちょっとカイル任せ過ぎる気がしました。
私は、自分の意見を主張するのは大事だと思うけど、
カイルみたいに押しつける奴は嫌ですね。
逆に、リアラみたく他人任せなのもどうかと思います。
私は、「カイルは英雄でなかったけど何かできた」って方がよかったですね。
英雄でなくても何かを変えられるって方が、絶対カッコイイし感動するし。
英雄は別に出してほしかった。
そういえば、レンズを砕けるのがカイル=英雄だけなんて、
一言も言ってなかったですよね?
カイルに辛い思いさせなくても、他の人が砕けばよかったのでは…。
リアラ(=分身)がフォルトゥナ(=本体)に勝てないとも言ってなかったし、
リアラが自分で砕けばよかったのでは…。
消える覚悟できてるなら、そして自殺が可能なら、
普通自分でカタつけるよね?
まぁ、本体もエルレインも当然核のレンズは守るから、
それに一人でかなわないのは分かるんだけど、
でもだからって、「カイルにしかできない」とは違うよねぇ。
彼は特別な剣を持てる者でも特別な技を使えるわけでもないし。
それに、そんな強力なレンズなら、
絶対カイル一人で砕けたらおかしいって…。
結局、リアラの「英雄の条件」も「英雄を必要とする意味」も
分からずじまいだし。
リオンにしても、敵が愚かに思えてならない。
思い通りにならない駒、普通ほっとくかな?始末するでしょ?
ちょっと神っぽく余裕もって
「一人逆らったところでどうにもできまい」って放任してたのか?
なにか説明不足なところが多いです。
「TOD2で、人が生み出したのは"神"ではなく、
現実に不満がある故の現実からの"逃げ"の思いの結晶なのでは。」
と言う方がいましたが、本当に同感です。
人の想いからホントに神が生まれるとは思えないし、
空想が形になっちゃったって感じなんでしょうね。
つまり、フォルトゥナは現実から逃げたいって人達用に生まれたと。
ただ、実際に逃げたいって奴はそんなにいなくて、
ここで、自分を不要とする者に関しては干渉すべきじゃなかったのに、
おせっかいのごとく、「人間は自分(神)に逃げなければ幸せではない」
と決めつけて干渉したから、問題だったんですよね。
彼女は押し売りでなければ最高な存在なのに。
カイルは「人は神なんて必要としていない」と言い切りましたが、
フォルトゥナの元のが幸せだった奴も絶対実在するぞ!と思いましたね。
あと、神のくせに消滅したらやった事パーってのも、案外超越してなさすぎでしたね。
結果的に自称神だったんだと思ってますけど。
しかし人間を再教育したいなら、わざわざ破壊しなくても、
人が生まれ落ちた瞬間に戻ってやり直せば完璧なのでは?
何のために時間移動できる存在なんだか。
今を破壊して再生しようって説は、時間移動できないからこそ浮かぶ理論だし。
まぁ、確かにラストではレンズ切れで、
どこにも逃げられなかったのかもしれないけど、
自称でも神なんだし、こんな浅はかなミスしないでほしかった。
情けなくて泣けてくる。
それに神というのは人を平等に扱うもの。
こういう人には救いを、なんて差別的なのは何か違う気がする。
それではまるで、どこかの宗教団体の教祖だよ。
ホントに神なら、滅ぼそうと思ったら一瞬で全部、
有無を言わさず滅ぼすだろうと思う。
降臨なんて面倒な事せずに。
(まぁ、あまりに完璧な敵じゃゲームになんないのも分かるけど…。)
やっぱ、色々考えてくと、
敵に、神なんて超越したものを持ってきてはダメですね。
神というのは傍観者的な立場に置いておかないと。
敵の限界は神を名乗る奴、くらいでOKなんですよ。
今回くらい敵に超越性持たせるなら、もうちょっと敵を賢くしてくれないと…。
2はほんと、ベッタベタな展開過ぎました。
予想通りリアラは消えて再度現れたし、ラスボスも神だし、スタン死んでたし。
とりあえず、リオンがあのまま生き延びなくて良かった。
これでやっと彼の魂も安らげえるはず。
スタンが生きてる歴史になって、ルーティが幸せで良い展開にも思えたけど、
考えてみると微妙です。
既実が無かった事になったりとか、
とても私には受け入れられない…。
メインストーリー以外は良かったから、ホントもったいないです。
(ムービー、バトルシステム、主題歌、キャラクターデザインetc)
せっかくのクオリティが…。
ああ。やっぱ単純に感動できるものがいいな。
タイムトラベル、私はダメです。
矛盾あると全神経そっちにいっちゃうから。
ははは。
私の中でのデスティニーは、やっぱり1で完結。
2はなかったって感じでとらえちゃってます。
(カイルが生まれるという事実までで、
私の中のデスティニーは完結してます。)
TOD2は、
前作デスティニーの普及に貢献してくれてる事だけ、
素直に感謝しておきます。
◆◆最後に◆◆
エルレインの「夢を見続ければ永遠の幸せが手に入る」って説、
それぞれの望む夢を完璧に覚めない状態を保てるのなら、
本当に究極の幸せなのでは。
何も殺したり破壊したりしないし。
あーゆーのは、現実と夢が極端だから悪く見えるだけな気がする。
例えば今普通に幸せと思ってて、今と全く同じ普通の幸せが再現されるのなら、
私はそれが悪いと言いきれる根拠がない。
それなりに苦楽ある夢見れたら、普通に満足してしまいそう…。
どう思います?
友達は、難しいけど、でも苦しくても自分の手で、現実でないとって言ってた。
私もそう思うんだけど、夢でも充実感得られちゃったら、
夢と現実区別なくなっちゃいそう…。
難しいですね。ホント。
TOD2は2002年のクリスマス頃にクリアしました。
TOD2の感想(というより批判)です。
期待してたんだなぁ、私。それだけに長いっ!
今作は、何よりもまず、
矛盾だらけであるために受け取れませんでした。
そして、前作デスティニーが好きである故に、
今作での前作キャラへの扱いがどうしても許せませんでした。
小説やドラマなどであったなら、
原作ではないから、と軽く流せたのでしょうが、
原作であるが故に、簡単には流せなかったです…。
やはり、全ての原点・元となる原作ですので。
ここから小説化、ドラマ化、漫画化する事を考えると、
やはり、もっとしっかり話を考えて欲しかったです。
そして、続編であるということは、
新作以上にファンが反応することも容易にわかると思います。
なので、新作を出す以上に、
細かな事にまで注意を払って欲しかったです。
以下、すっごい長いですが、私の感想になります。
まずリオンについて。
私は死を無駄とか終わりとかではなく、
それが始まりとか意味あるものである、と考える性質なんです。
だからリオンは、
ドラマCDの締めくくり方が、
一番彼的に幸せに思えます。
やはり、リオンはもう、
死ぬことでしか幸せをつかめなかったんじゃないかと思うし。
こう思うわけは、
彼がもう一人の父とも言える人(ドラマに登場)を手にかけてしまっているから。
おそらくこの他にも殺してるハズ。
何かを犠牲にしなくてはどうにもできない状況だったとはいえ、
この罪悪感はかなり大きいと思うんです。
だから、彼は償いの結果が死でも、幸せだったのではないかと。
「テイルズリングアーカイブ1」でもあったのですが、
彼が求めていたのは、誰かに愛されていると感じること。
誰にも必要とされずに生きる、目的を失って生きるっていうのは、
一番辛いことですよね。
きっと死ぬより辛いハズ。
彼の死は彼なりの道をつらぬいた結果。
やっと解放されたんだなと感じました。
そして、番外ドラマで、
「マリアンに忘れられたら、エミリオが消えて無くなってしまう!」
とリオン自身が嘆いていたように、
彼が恐いのは死ではなく、
誰にも本当の自分を覚えていてもらえないという事ですよね。
実際は、前作の時点で、仲間はみんな、
エミリオを忘れてなんかいないと思える展開だったし、
特に、ルーティとマリアンの中には、
リオンだけでなく、
エミリオという存在も確実に生きていると感じられました。
少なくとも、私はそう感じてます。
私は、武士道のように自分の道を貫いて死ぬ場合は、
死をマイナスというより、むしろプラスに受け取ります。
言い方が変ですけど、散り様が美しければ、
そしてそのキャラ的な視点を考えて幸せだろうと感じればOKです。
彼はマリアンを守り抜くためなら犠牲を厭わない、
その生き方を自分で選択して精一杯生きたんです。
彼には、そうやって一応選択できる状況がありました。
私は、マインドコントロールされていたダリスやヒューゴのが、
自分で自分の生き様を選べないまま殺されてしまった彼らのほうが、
よっぽど不幸であったと感じています。
私にとって重要なのは生か死か、よりも、
自分の意志で自分の道をつらぬいたかどうか、ということですね。
リオンが番外ドラマで、
「戦ってぼろきれみたいに捨てられるのと、
戦わずに勝った気でいるのと、どっちが不幸なのか?」
って言ってますけど、それに通じるテーマです。
リオンは自分の一番大切なもののために選んだ道を貫き、散ったのですから、
後悔はなかったと思います。
生きながらにして全てを白紙に戻してやり直すのは、
そうできることではないですよね。
きっとリオンのようなタイプはなおさら。
彼には、いつか転生して、
今度こそ、思い描いた理想を生きて実現してほしいです。
前世の記憶なんて覚えてなくていいから、
家族や仲間と転生した先で巡り合ってほしいです。
特にルーティとは…。そう思います。
(でも転生って仏教では悪いコトなんですよね。
生という苦しみから逃れた解脱って状態が至福ですから。
でも、私は転生はプラスイメージ。
やり直しのチャンスみたいに思えるし。
まぁ、転生した先が何なのかによっては考え方も変わるけど…。
虫とか、嫌ですしね…。)
製作者側がTOD2作製時
「ユーザーが最も再登場を望むのは誰か」
として出たのがリオンだという事は予想してました。
が、こんな風にリオンを商品化して出すことは
望んでませんでしたので、大ショックです。
今作は、あてつけのようにリオン売りにしてますからね(怒)
いくら人気があるからって…。
私はデスティニーの話を、
ドラマCDの筋で受け取っているタイプですが、
仮にドラマCDが全く無くても、
今作のようなリオンの再登場は全く望みません。
私的には、続編になる今作で、
ルーティがリオンの事をカイルに語ったり、
過去の仲間がリオンを忘れないでいる事を表してくれるだけでOKでした。
(夢で出てくる、というのもOKです。
夢の場合は、本人でない場合もありますが、
夢を見てる人が感じたリオンには違いないですから。)
リオンご本人は回想で登場するだけで良かった…。
ジューダスはリオンファンに与えた、
別人だけど彼そっくりという設定で十分だと思いますし。
例えばですが、大切な人を失った後似た人が現れると、
なんとなくですが、心が癒されたりするじゃないですか?
そういう存在としての、リオンの転生体でも幽霊でも本人でもない、
全くの新キャラであってほしかったです。
リオンのかつての仲間も、前作プレーヤーも癒されて、
満足できる展開を十分に作れたと思うんですけどね…。
前作キャラのうち全員出したくせに彼だけ使えるってのも、
差別しすぎだと思いますしね。
私的には、彼の目で見た幸せを考えるに、
今作でのリオン再登場はやはり許せないです。
不幸としか受け取れませんし、
何故彼だけ人生を実際にやり直し、満足しているのか!?と
腹立たしくてなりません。
(ex.18年前のスタン達の危機を救うとか)
本当に人生やり直せたら、辛い事なんてないよ!?
なんか違います!
それに、ドラマCDの方で十分いい方向で補えていたのに、
今作の追加のせいで、そのドラマCDを汚された気がしました。
(ex.タイムスリップした先で神の目を砕く時にシャルが加わる事とか。
神の目を砕くのにシャルが加わる設定は、
ドラマCDで既に成された設定なので(怒)!
ゲームでこの場面を見たときは興ざめでした…。)
天地戦争の話も、TOD2よりずっと前に、
小説「天地戦争編」で、いい形で補われていました。
既に市販物として出したくせに、
その設定をなくすような、台無しにするような続編出すな!と思いました。
タイムスリップして前作のスタン達の時代に触れたときも、
天地戦争の時代に触れたときも、
前作が汚されていくとしか感じられなかったです(泣)
歴史の事実とは、その時その時を戦った人達の汗と涙の結晶です。
ソーディアンチームが、またはスタン達が乗越え解決したあの場面に、
他の時代の奴らが介入してくるなんて…。
本当に許せないです!
こういうのがあるから、タイムトラベルは嫌いです。
TOD2は、友達にも批判してる子がいました。
「矛盾やリオン絡み等大問題!更に神はいらないという表現はヤバイ」と。
確かに、無信教者の多い日本はともかく、他でブーイング出そう…。
だいたい、神がいらないんじゃなくて、フォルトゥナがいらないだけでは。
抽象的に表しちゃいけませんよね。こういうのは。
それにフィリアみたいに、何らかの神を信じる人も存在するわけです。
あの言い方ではそういう人達もひっくるめて批判している気がします。
人の想いから生まれた存在=フォルトゥナ。
神って呼ばれるのもまぁ分かる。
奇跡的な超現象を起こすものを人はそう呼びたがるから。
そして呼ばれるうちにフォルトゥナ自身神と思い込んだわけだろうし。
(最初から思い込んでたかもだけど。)
レンズがないと時間移動できないっていうのも、
フォルトゥナ、エルレイン、リアラの3人のみ、
レンズをそのためのエネルギー元に変えられる特殊能力者と思えば分かる。
かなり考えられないけど、
まぁ所詮は神でなかったから愚かな政策ばかりで失敗し滅ぶ、と。
ここまではギリギリ分かる。
でも、最後やったことが皆無になるっていうのは絶対矛盾。
フォルトゥナの力で変えた歴史が
フォルトゥナがいないと維持できないというのであれば、
フォルトゥナに関するところだけが空白のように、
抜けた状態になるだけのはず。
空白だから何もなかったのと同じで記憶喪失とは違うけど、
その間の記憶は塗り替えられるというより消去だから、
そこだけ記憶喪失、とほぼ同じかな。
そのフォルトゥナの関するっていうのが、
フォルトゥナが存在してるだけで影響与えてるかがわかんないから、
どの程度かわからなくて問題なんだけど。
とにかく、スタンがカイルにずっと稽古つけてきた、
みたいな設定にはなり得ないはず。
でもこれ以上は、タイムスリップ故に説明しきれません。
だって、例えば前作から見るとハロルドの一生は時間旅行未経験。
でも今作から見るとハロルドの一生は時間旅行経験者。
同じ人物の一生なのに、
フォルトゥナ絡みで記憶がとぶorとばないの差ができちゃうので。
(普通、どの時代の人から見ても、既に死んでいる生命の一生は同じものですから。)
この矛盾点を無理やりだけど無くそうと考えるには、
「フォルトゥナは存在するだけで歴史に影響与える存在だから、
消えるときに歴史はフォルトゥナ発生前に戻る。
そしてフォルトゥナが発生しなかった歴史を歩んだカイル達の現在が、
エンディングのスタンが生きてる時代とする」ってやつですね。
これが理解できる一番オーソドックスなやつかな。
これ以上は私には説明不可だし。
でも、どう考えても矛盾・理解できないのは
エルレインが歴史操作した世界で、カイルが消えずに存在していたこと。
フォルトゥナの力を源?にしてるリアラ、エルレイン、(ジューダス?)以外は
影響ないとおかしいんだけど。
他のみんなもしっかり影響受けたんだから。
だって過去をいじって
ルーティとスタンの存在が消えたり出会わなかったりしたら、
カイルが存在するのっておかしくない?
少なくともエルレインが過去いじる前と全く同じにはならないよねぇ?
歴史操作前のカイルが消えて、何か変化したカイルが生まれるのが普通でしょ?
って思えてならない。
過去を操作して今が変わらないなら、何のための歴史操作!?
リアラが、
「私の存在が消えない限り、
リアラ以外4人は時間軸の影響を受けないようにする」
とかしている設定なら、まだ理解できたと思いますけどね。
あとエンディングのリアラの現れ方は絶対人間じゃない…。
再度現れた時もなんか光って突然現れたけど、
もしまた救いを求めるパワーで現れたとかだったら、
ボス倒した意味全く無い!?
少なくとも普通の人間ぽい現れ方じゃなかったよなぁ。
リアラは神がいなきゃ存在できない設定だから、
つまり神は甦ったのか~?結局全ては無駄!?
それにラスト、前と同じ姿・年齢で出会うっていうのは、リアリティないなぁ。
別にリアラが赤ちゃんだったとしても、
大人の女性だったとしてもいいわけで。
あと、カイルも前と同じ年齢の時に出会うってのがなんかなぁ。
再び出会うシーンまでやるのなら、
カイルが18才とか、もうちょっと成長してる方がいいな。
もちろん、カイルだけでなく、リアラも以前と違う年齢の時のがいいな。
外見が以前と全く違ってても、
こういう時はハッとする何かがあるものだと思いますしね。
そのへんに少しリアリティがほしかったなぁ。
同じ姿にしても、ちゃんと人間ぽい再会にしたらと思う。
同じ人として再会を果たす事が、
リアラの願いであったわけですしね。
ラスト、私はリアラとの再会シーンなしで想像に任せてほしかった。
つまり、
カイル「絆は消えない。そうだろ?リアラ…。」か、
カイル「英雄がいたからだけじゃない。その理由を、俺は探しに行きたい。」で
終わってほしかった。
EDムービーをしっかり作りさえすれば、この方が感動な気がする。
こういうラストなら、解釈の幅も広まるので、
小説、ドラマCDのラストもオリジナルが少し入れ易くなって、
皆様も、原作も含め、
その中から一番好きなラストで受け取れるんじゃないかな、と。
再会シーンありの、あのラストで受け入れるなら、
リアラの名前だけ感覚で覚えてたって捉えたい。
その理由1
=形なき絆を信じるというのなら、
カイルは、記憶がまるでない状態で再び出会っても、
またリアラを好きになると思うし、
やはりそれを証明してくれる方が感動するのでは…。
それに、あの世界の他の皆が記憶全部失ったのに、
カイルが全部思い出すというのはご都合主義に感じられるし…。
その理由2
=カイルが英雄になった記憶覚えてるのが私的になんか腹立たしい。
だって奴は、誰に押しつけられたわけでもなく、
勝手に言い出して英雄になったのに、
いざ英雄がリアラを消す存在と分かったら、やめたいとか言い出すし!
自分の言った事にくらい責任もてないのかって感じ。
事の重大さも分かんないくせに首つっこむな!
と最後までつっこまずにはいられなかった。
(つっこんだら終わりってわかってるけど、つっこめ過ぎ!)
ディムロスが恋人か仲間か、と二律背反で苦しんでるときも、
ジューダスに未来を告げる事はエルレインと同じと注意されても告げる所も、
もうなんなの!?ってくらいカイルが理解ない奴で、正直むかつきました。
いくら大好きなルーティの息子でも嫌いです。
リアラもちょっとカイル任せ過ぎる気がしました。
私は、自分の意見を主張するのは大事だと思うけど、
カイルみたいに押しつける奴は嫌ですね。
逆に、リアラみたく他人任せなのもどうかと思います。
私は、「カイルは英雄でなかったけど何かできた」って方がよかったですね。
英雄でなくても何かを変えられるって方が、絶対カッコイイし感動するし。
英雄は別に出してほしかった。
そういえば、レンズを砕けるのがカイル=英雄だけなんて、
一言も言ってなかったですよね?
カイルに辛い思いさせなくても、他の人が砕けばよかったのでは…。
リアラ(=分身)がフォルトゥナ(=本体)に勝てないとも言ってなかったし、
リアラが自分で砕けばよかったのでは…。
消える覚悟できてるなら、そして自殺が可能なら、
普通自分でカタつけるよね?
まぁ、本体もエルレインも当然核のレンズは守るから、
それに一人でかなわないのは分かるんだけど、
でもだからって、「カイルにしかできない」とは違うよねぇ。
彼は特別な剣を持てる者でも特別な技を使えるわけでもないし。
それに、そんな強力なレンズなら、
絶対カイル一人で砕けたらおかしいって…。
結局、リアラの「英雄の条件」も「英雄を必要とする意味」も
分からずじまいだし。
リオンにしても、敵が愚かに思えてならない。
思い通りにならない駒、普通ほっとくかな?始末するでしょ?
ちょっと神っぽく余裕もって
「一人逆らったところでどうにもできまい」って放任してたのか?
なにか説明不足なところが多いです。
「TOD2で、人が生み出したのは"神"ではなく、
現実に不満がある故の現実からの"逃げ"の思いの結晶なのでは。」
と言う方がいましたが、本当に同感です。
人の想いからホントに神が生まれるとは思えないし、
空想が形になっちゃったって感じなんでしょうね。
つまり、フォルトゥナは現実から逃げたいって人達用に生まれたと。
ただ、実際に逃げたいって奴はそんなにいなくて、
ここで、自分を不要とする者に関しては干渉すべきじゃなかったのに、
おせっかいのごとく、「人間は自分(神)に逃げなければ幸せではない」
と決めつけて干渉したから、問題だったんですよね。
彼女は押し売りでなければ最高な存在なのに。
カイルは「人は神なんて必要としていない」と言い切りましたが、
フォルトゥナの元のが幸せだった奴も絶対実在するぞ!と思いましたね。
あと、神のくせに消滅したらやった事パーってのも、案外超越してなさすぎでしたね。
結果的に自称神だったんだと思ってますけど。
しかし人間を再教育したいなら、わざわざ破壊しなくても、
人が生まれ落ちた瞬間に戻ってやり直せば完璧なのでは?
何のために時間移動できる存在なんだか。
今を破壊して再生しようって説は、時間移動できないからこそ浮かぶ理論だし。
まぁ、確かにラストではレンズ切れで、
どこにも逃げられなかったのかもしれないけど、
自称でも神なんだし、こんな浅はかなミスしないでほしかった。
情けなくて泣けてくる。
それに神というのは人を平等に扱うもの。
こういう人には救いを、なんて差別的なのは何か違う気がする。
それではまるで、どこかの宗教団体の教祖だよ。
ホントに神なら、滅ぼそうと思ったら一瞬で全部、
有無を言わさず滅ぼすだろうと思う。
降臨なんて面倒な事せずに。
(まぁ、あまりに完璧な敵じゃゲームになんないのも分かるけど…。)
やっぱ、色々考えてくと、
敵に、神なんて超越したものを持ってきてはダメですね。
神というのは傍観者的な立場に置いておかないと。
敵の限界は神を名乗る奴、くらいでOKなんですよ。
今回くらい敵に超越性持たせるなら、もうちょっと敵を賢くしてくれないと…。
2はほんと、ベッタベタな展開過ぎました。
予想通りリアラは消えて再度現れたし、ラスボスも神だし、スタン死んでたし。
とりあえず、リオンがあのまま生き延びなくて良かった。
これでやっと彼の魂も安らげえるはず。
スタンが生きてる歴史になって、ルーティが幸せで良い展開にも思えたけど、
考えてみると微妙です。
既実が無かった事になったりとか、
とても私には受け入れられない…。
メインストーリー以外は良かったから、ホントもったいないです。
(ムービー、バトルシステム、主題歌、キャラクターデザインetc)
せっかくのクオリティが…。
ああ。やっぱ単純に感動できるものがいいな。
タイムトラベル、私はダメです。
矛盾あると全神経そっちにいっちゃうから。
ははは。
私の中でのデスティニーは、やっぱり1で完結。
2はなかったって感じでとらえちゃってます。
(カイルが生まれるという事実までで、
私の中のデスティニーは完結してます。)
TOD2は、
前作デスティニーの普及に貢献してくれてる事だけ、
素直に感謝しておきます。
◆◆最後に◆◆
エルレインの「夢を見続ければ永遠の幸せが手に入る」って説、
それぞれの望む夢を完璧に覚めない状態を保てるのなら、
本当に究極の幸せなのでは。
何も殺したり破壊したりしないし。
あーゆーのは、現実と夢が極端だから悪く見えるだけな気がする。
例えば今普通に幸せと思ってて、今と全く同じ普通の幸せが再現されるのなら、
私はそれが悪いと言いきれる根拠がない。
それなりに苦楽ある夢見れたら、普通に満足してしまいそう…。
どう思います?
友達は、難しいけど、でも苦しくても自分の手で、現実でないとって言ってた。
私もそう思うんだけど、夢でも充実感得られちゃったら、
夢と現実区別なくなっちゃいそう…。
難しいですね。ホント。
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